愛とはお互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることだ

ことばの分解室
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愛とはお互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることだ
― アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『人間の土地』

この名言は、フランスの作家サン=テグジュペリが描く愛の本質を端的に表したものとして、多くの人の心に残っています。

恋愛や夫婦関係、家族や友情においても共通する「関係の成熟」とは何かを問いかけてくる言葉です。

ここで言う「見つめ合う」とは、相手そのものに意識を集中させること。 そして「同じ方向を見る」とは、ふたりが共有する未来や価値観、目標に意識を向けている状態だと考えられます。

「好き」という気持ちが生まれたとき、人はまず相手に惹きつけられ、その人自身に目を向けます。 顔、しぐさ、考え方、声――ひとつひとつを見つめて、愛おしく思う。 それは「見つめ合う」時間です。

でも、人間関係はそのままでは続かないことが多いです。 互いを知るだけでは、共に歩いていく理由にならないからです。

そこに必要なのが「同じ方向を見る」こと。 つまり、価値観や人生観をすり合わせながら、共通の未来をつくっていく営みです。

この名言が響くのは、おそらく、関係が長く続く中で「見つめ合うことの限界」に気づいた人が多いからではないでしょうか。


「見つめ合い」の落とし穴

愛情を確かめ合いたいあまり、お互いを見つめ合い続ける関係には、ある種の脆さがあります。

相手の気持ちを過度に気にしたり、期待に応えようと無理を重ねたり、逆に「私を見てくれない」と傷ついたり。

そうした不安定さは、「自分たちは何のために一緒にいるのか」という根っこの問いを見失ったときに起こりやすくなります。

恋が愛に変わっていく過程で、本当に大切なのは、相手の表情や言葉を見つめ続けることよりも、ふたりが目指す方向を重ねていくことではないか。

この名言は、そうした視点を与えてくれます。


「ともに見るもの」が関係を育てる

同じ方向を見ている関係には、ある種の安定感があります。

たとえば、子育てや仕事、老後の暮らし方、社会への向き合い方――話し合いながら「どこへ向かうか」を共有できている関係は、多少のすれ違いがあっても根底でつながっていられる。

それは「一緒に戦えるパートナーシップ」とも言えるかもしれません。

相手の背中越しに、あるいは隣で、同じ風景を見つめているような関係。 そのとき、安心や信頼が生まれやすくなるのです。

一方で、同じ方向を見つけられないときの関係には、静かな苦しさがつきまといます。

会話はあるのに心が遠い、表面的な仲の良さが逆に孤独を深めることもある。

「どこへ向かうのか」が曖昧なままだと、関係はやがて迷子になります。


名言との距離の取り方

「ともに同じ方向を見つめること」が愛であるというこの名言は、理想的な関係像を示してくれると同時に、現実の難しさにも気づかせてくれます。

人は変わるし、人生も変わる。 だから、ずっと同じ方向を見続けることは難しいかもしれません。

でも、「同じ方向を探し続ける」努力なら、できるのではないでしょうか。

この言葉に向き合うとき、私たちができるのは、「何を見ていたいか」を話すこと。 そして「一緒に見る」ことをあきらめないこと。

それが、愛という関係をゆっくり育てていく術なのかもしれません。


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