「ごめんね」って言ってしまうのはなぜ? ――自己否定の癖とやさしさの境界線

エッセイ
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「ごめんね」って、つい言ってしまう。

待ち合わせで少し遅れただけ。
お願いを断っただけ。
疲れてるだけ。

本当は謝らなくてもいい場面でも、
気づけば「ごめんね」と口にしてしまう自分がいる。

そして、あとから「また言っちゃったな」と少し落ち込む。
どうしてこんなに、謝る癖がついてしまったんだろう。


「ごめんね」は、心のクッション

人との関係に波風を立てないために、
先回りして自分を小さく丸める。

ほんの少しの違和感や沈黙が怖くて、
「怒ってない?」と聞く代わりに「ごめんね」で埋めようとする。

それは、優しさとも言えるし、
でもたまに、自分を守るための鎧にもなる。


自分の存在ごと、謝ってない?

「わたしなんかが言ってごめん」
「疲れてるって言ってごめん」

“行動”じゃなくて“存在”を謝ってしまうとき、
その言葉の裏には、「わたしには迷惑をかける価値しかない」
という前提がある。

それが癖になると、
本当に大事な場面で「嫌だ」と言う力まで奪われてしまう。


「ありがとう」に言い換える練習

「待っててくれてありがとう」
「聞いてくれてありがとう」

そう言い換えるだけで、心の姿勢が少し変わる。
自分を責める形じゃなく、相手のやさしさを受け取る形に。

すぐに言い換えられなくてもいい。
「また謝っちゃったな」と気づくだけでも十分、前進です。


謝らなくても、大丈夫な世界へ

もちろん、謝ることは悪いことじゃない。
でもそれが、「わたしの存在を軽くするための言葉」になっているなら、
少しだけ立ち止まって、自分の心に聞いてあげてほしい。

その「ごめんね」は、誰のための言葉だったの?


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