【1】心の声「この子には、もっといい親がいたかもしれない」
お風呂の中で、泣き止まないわが子を抱えながら、ふと思う。
「私じゃ、この子を幸せにできないかもしれない」
「もっと余裕のある人、もっと優しくて明るい人だったら…」
ちゃんと育てたい。
この子を守りたい。
でもそれと同じくらい、自分の無力さに押しつぶされそうになる。
理想の親像に届かない自分。
育児本通りにいかない毎日。
怒りたくないのに怒ってしまう自分。
楽しめない自分。
夜、子どもが寝たあと、
しん…とした部屋の中で、湧いてくるあの声。
「この子の正解って、ほんとは私じゃなかったんじゃないか」
【2】“自己否定”という名の、愛の裏返し
このつぶやきの裏には、深い愛情と大きな不安があります。
■ 完璧を目指してしまう人ほど、自分に厳しくなる
育児って、正解がない。
なのに毎日、“正解でなければいけない空気”の中にさらされる。
SNSの理想の育児、周囲の親との比較、
「〇〇するべき」「それじゃだめ」っていう情報の波。
真面目な人ほど、
「私が至らないせいでこの子が…」と、
全ての結果を自分の責任として引き受けてしまう。
■ “うまくいかない日”に対する耐性が削られる
育児は、思い通りにいかない日常の連続。
だけど、自分に自信がないと、
「今日もうまくできなかった」=「自分はダメな親」
という構図が頭の中にできてしまう。
できなかったことばかりが記憶に残り、
“やれてること”が見えなくなる。
その累積が、夜の自己否定を育ててしまう。
【3】なぜ「自分がこの子の正解じゃない気がする」のか?
■ 子どもの反応を“自分への評価”と錯覚してしまう
泣かれると、「自分が悪い」
わかってくれないと、「私の接し方が下手」
そんなふうに、子どもの反応を「自分の価値」として受け止めてしまう。
でも、子どもには子どもの感情がある。
それは親を否定してるわけじゃない。
それでも、「自分がこの子にとってベストじゃない気がする」という感覚に、すぐ飲み込まれてしまう。
■ 愛してるのに、しんどい
育児がしんどいのは、怠けてるからじゃない。
「大切にしたい存在が目の前にいる」
そのプレッシャーに心も体も悲鳴を上げてるだけ。
本気でこの子を守りたいから、苦しくなる。
うまくできないことが、怖くなる。
その強い責任感が、「私じゃダメだったかも」という思考に変換されてしまうのです。
【4】どうしたらいい?——“正解じゃないかも”という声との向き合い方
■ まずは、「疑ってしまう自分」を否定しない
「そんなふうに思うなんて最低」なんて、思わないで。
それは、“愛してる”の証拠。
この子にとって、ちゃんとした存在でありたい——
そう願ってるからこそ、出てくる問いなんです。
■ 子どもの“感情”と“人格評価”を切り分ける
子どもが泣く、怒る、わめく。
それは親への“ダメ出し”ではありません。
「いま自分でもどうしていいかわからない」
そんな混乱を全力でぶつけてきているだけ。
それに振り回されても、自分を“失格”にしないで。
反応=あなたの評価、ではないのです。
■ あなたがいることで、この子は“世界に歓迎されてる”と知る
子どもにとっての“正解”って、
「100点の対応ができる人」じゃない。
泣いても怒っても失敗しても、
「ここにいていいよ」って、
一緒にいてくれる人。
不器用でも、完璧じゃなくても、
あなたがそばにいること自体が、
この子にとって“安心”であり、“正解”なのです。
【5】まとめ
「私はこの子の正解だったのかな」
そうつぶやいてしまうのは、
育児を“仕事”としてではなく、
“愛”として受け止めているからこそ。
答えのない毎日のなかで、
責任感と愛情のあいだで揺れながら、
自分に問いかけてしまう。
でも、今日もちゃんと向き合ってるあなたは、
それだけで、すでに十分「この子の親」である理由になっています。
正解だったかどうかは、今すぐ決めなくていい。
その答えは、今日あなたが見せたまなざし、かけた言葉、差し出した手のなかに、
きっとちゃんと残ってる。
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