「がんばってるね」は、なぜ時にしんどい?――励ましがプレッシャーになる瞬間

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エッセイ
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「がんばってるね」って言われるのが、なんかつらい。

褒められているはずなのに、胸が重くなる。
嬉しい気持ちもあるのに、返事に詰まる。

そんな経験、ありませんか?


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褒め言葉に、なぜか圧を感じるとき

「がんばってるね」は、本来あたたかい言葉。
でもそれが、
「これからもがんばり続けてね」
「あなたならもっとできるでしょ」
という“無言の期待”に聞こえてしまうときがある。

今、しんどいことに耐えている真っ最中だと、
「がんばりすぎてるよ」と言ってほしいのに、
さらに“努力の継続”を促されているように感じてしまう。


すでに限界だからこそ、響かない

本当に限界近くまでがんばっているとき、
必要なのは「称賛」より「承認」。

「えらいね」よりも、
「無理しなくていいんだよ」のほうが、救いになることがある。

だから、ただの一言が、
“気持ちを汲んでもらえなかった感”を生んでしまう。


言葉にこもる“方向性”が違ってしまう

発した側は応援のつもりでも、
受け取る側の心の状態によって、
その言葉はまったく違う意味に変わる。

とくに、「頑張る=正しい」という価値観が強い人は、
“がんばっている”ことを肯定されると、
「もっとやらなきゃ」という義務感になってしまう。


「がんばらなくてもいい」がほしいときがある

努力はすごい。
でも、それがつらさの中で絞り出した“最後の気力”だったとしたら、
それを「継続前提」で褒めることは、時に苦しめることになる。

本当に苦しいとき、
「がんばらなくてもいいよ」って言ってもらえたら、
心はふっと軽くなる。


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