気にしいな自分が嫌になる夜――頭の中の“他人の声”が止まらない理由

エッセイ
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「あの言い方まずかったかな」

「なんか変な空気になってたかも」
「もしかして、嫌われた?」

1日の終わり、ふと布団に入ると、
静かになったはずの部屋で、
心の中だけがざわざわしている。


頭の中に住みつく“他人の目”

気にしいな人は、心の中に「もうひとりの他人」を飼っている。
それは、相手の顔をした“想像上のジャッジマン”。

「そんなこと言うなんてありえない」
「空気読めてなかったんじゃない?」

…そんな声が、自分の中から聞こえてくる。
でも実際は、誰もそんなこと言っていない。
ただ、自分が自分に向けて言っているだけ。


人と関わるのがこわくなる瞬間

気にしすぎるほど、慎重になって、
どんどん「正解の言動」だけを探すようになる。

でも、人とのやりとりに“正解”はない。

だから、自分を縛れば縛るほど、苦しくなる。
そして、何も言えなくなっていく。


嫌われたかも、の正体

本当は、嫌われることそのものよりも、
「自分が誰かの中で悪く映っている」ということに
耐えられないのかもしれない。

つまり、他人の評価に依存して、
自分の価値を決めてしまっている状態。


気にする心を、否定しない

「気にしないで」って言われると、
ますます気にしてしまう。

だからまず、「気にしちゃう自分」にOKを出す。
「それだけ丁寧に人と関わろうとしてるんだね」って。

そのうえで、少しずつ他人軸から離れていく練習をしていけたら、
心の夜も、少しずつ静かになっていくかもしれない。


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