“もう見たくないのに、ついSNSを開いてしまう”自分が嫌になった夜

ライフステージ
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【1】心の声「自分から見にいって傷ついてるなんて、馬鹿みたい」

もう見なきゃいいって、わかってる。
開いたって疲れるだけ。
比べて、落ち込んで、羨んで、何も得るものなんかないって、わかってる。

それでも、指が勝手に動く。
スクロールして、また誰かの“リア充”が流れてきて、
遠くの誰かの幸せそうな笑顔や、仕事の成果や、誕生日のプレゼントが並ぶ。

「私は、今日何もなかったな」
「この人、なんでいつもキラキラしてるんだろう」
「いいなあ、楽しそう」

そして気がつくと、また自己嫌悪。

——見なきゃいいのに。
——どうしてやめられないんだろう。
そんな自分が、また嫌になる。


【2】SNS疲れは「他人」じゃなくて「自分」に疲れている

SNSそのものが悪いわけじゃない。
むしろ、楽しいときだってある。
でも疲れてしまうのは、“誰かの発信”に触れることで、
「自分の心の中にある欲望や不安」があぶり出されてしまうから。

■ 比較癖がある人ほど、SNSに消耗する

  • 人の成果が、自分の“できてなさ”に見える
  • 幸せそうな投稿が、「自分はどうだっけ?」と突きつけてくる
  • どんなに“いいね”があっても、空っぽな気がする

これは、「他人に勝ちたい」わけじゃない。
ただ、自分が“何者かわからない”ことへの不安が、
誰かの投稿を通して刺激されているだけ。


■ 誰かの“充実”を見ると、自分の“何もない時間”が無価値に思えてしまう

  • 何も投稿することがなかった
  • 人に見せるような日じゃなかった
  • 誰からも連絡がなかった

そんな「静かな日常」が、SNSの中では“存在してない”ことになってしまう。
だから、“静かな日”さえも自分を責める材料になっていく。


【3】なぜ、やめたくてもSNSを見てしまうのか?

■ 「つながっていないと不安」という感覚

  • 誰かと比べてしまうのに、ひとりになるのも怖い
  • 情報を見ないと“置いていかれる”気がする
  • フォローしていないと、仲間はずれになる気がする

SNSには“無言のルール”がある。
既読スルー、いいねの数、フォロー返し——
そうした小さなノイズに反応し続けて、心はいつのまにかすり減っていく。


■ “ヒマ”と“空虚”が怖いから、SNSで埋めてしまう

本当は考えたくないことがある。
向き合いたくない感情がある。
だから、“考えなくて済む”SNSに逃げてしまう。

見たくて見てるんじゃない。
“何も感じなくて済む場所”を探してるだけ。


【4】どうしたらいい?——SNSと“心の距離”をとるヒント

■ ① 「見ないようにする」じゃなく、「見なくても平気な自分」を育てる

強制的に離れることは、根本解決にならない。
大事なのは、“SNSを見なくても、自分が空っぽにならない感覚”を育てること。

・ちょっとだけ歩く
・本を1ページだけ読む
・深呼吸する
・ノートに思ったことを1行だけ書く

SNSよりも“自分に還る時間”を、少しだけ増やしていく。


■ ② 「誰かの投稿=その人の一部」だと意識する

SNSは“人生のハイライト編集版”。
そこに映っていない部分のほうが、本当はずっと多い。

笑ってる裏で泣いてたかもしれないし、
幸せそうな瞬間も、ほんの一瞬かもしれない。

“見えてるものが全てじゃない”と意識するだけで、心は少し軽くなる。


■ ③ 「見てしまう自分」を否定しない

やめたいのに見てしまう。
そんな自分を責めないで。

それは、あなたの心が“何かを満たそうとしていた”証拠。
ただその方法が、たまたまSNSだっただけ。

「今ちょっと心がすり減ってるかも」と気づけたら、それで十分です。


【5】まとめ

「もう見たくないのに、ついSNSを開いてしまう」
そんな自分が嫌になった夜は、
“心が疲れているよ”というサインかもしれません。

他人を羨む自分も、
なにも発信できない自分も、
SNSに振り回される自分も、
ぜんぶ“今の自分の一部”です。

だから——
逃げるようにやめなくてもいい。
でも、“自分の心がちゃんと呼吸できる距離”を、
見つけてあげてください。


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